2000年12月~2002年3月までの間、私は札幌の養護学校で訪問教育という仕事をしていた。
訪問教育では、重篤な病気または障がいがある理由で学校に通うことのできない子どものもとに、週3回&1回2時間を基準時間にして教員が訪れるシステムになっている。
全国訪問教育研究会
http://homepage3.nifty.com/kazu-page/veducation/vedutop.htm
その学校の訪問教育の出先は、子どもの自宅のほかに重症心身障害児施設(重心施設)と呼ばれるものもあった。
私が担当させていただいたのは、小樽の丘の上にある病院内に設置された重心病棟だった。
私の受け持っていたのは、「たっちゃん」という中学生の男の子と「しんちゃん」という小学生の男の子。
新しい年度になって「ゆうとくん」という小学生の男の子もN先生という若い女性の先生とチームを組む形で受け持つことになった。
その他にも訪問教育を受ける子どもが複数いて、私たちの他にも数人の先生がこの病棟を訪れていた。
週のうち、月・火・木・金の4日間(水は学校で会議)、朝学校に立ち寄って出勤簿に判を押してからJRで小樽まで移動して10時~15時の間で訪問教育を行い、その後学校に戻って打ち合わせや書類の整理などをして家に帰る・・・そんな生活を過ごしていた。
たっちゃんは、函館生まれ。
お父さん・お母さん・お兄ちゃんそれにおばあちゃんに囲まれてすくすくと育っていた。
一時期ご家庭の事情でどこかにあずけなければいけなくなり、緊急の措置のような形でここ小樽にやってきたのが、私がこの訪問教育の仕事をするちょっと前の話だった。
そのときたっちゃんは中2から中3になるところで、のびざかりの時期だった。身長もぐーんと伸びて移動に使うバギーも何度か新調していたものだった。
それまで通っていた養護学校では、SRCウォーカーという歩行器(http://homepage3.nifty.com/chiba-sikyou/SRCW.htm)を使い歩くことができたが、訓練スペースに余裕のない病棟ではそれができず、伸び盛りに合わせて進む体の拘縮(こうしゅく:こわばり自由がきかなくなってくること)と相まって歩くことができなくなっていくのは、歯がゆい思いがしていた。
でも、慌ただしい病棟のスケジュールの中で、何人もの担当さんをかかえる病棟のスタッフの方たちは献身的に関わってくださっていた。その思いは訪問教育を担当する教員も同じで、お互いの考え方の違いからぶつかったこともあったように思うが、病棟での仕事を終えて数年が経つ今もメールをしたり、病棟に遊びに行かせていただくお付き合いをつづけている。
その後、国立だったこの病院は民間に移譲されることとなり、職員の方々が多数入れ替わることとなった。
また、訪問教育の担当校も見直しが行われて、小樽近郊の養護学校に担当が移管されることとなった。
また、重篤な障がいゆえに入所者の方がお亡くなりになったという知らせをお聞きすることもあり、たっちゃん・しんちゃんたちと一緒に遊んでくれた元気な姿を思い出すこともあった。
たっちゃんの中学校3年の修学旅行は函館への2泊3日の旅になった。
お母さんが函館から小樽に駆けつけて下さって、出発から一緒にバスに乗ってお時間を過ごしてくださった。
函館の宿には、ついこの前まで一緒に学校生活を送っていた函館の養護学校の同級生さんや先生たちがたっくさん遊びに来てくれてたっちゃんもとっても大喜びしていたのを思い出す。
そうやってたっちゃんに会いに来てくれる函館の方たちの人情の厚さを感じたひとときでもあった。
その函館の養護学校で翌年仕事をさせていただくことになったのは偶然なんだろうけれど、不思議な思いがした。
中学部を卒業したたっちゃんは、高等部では新しい担任の先生と3年間いろいろな勉強をしたそうだ。
3年生のときはお母さんと一緒にディズニーランドに修学旅行に行くこともできたんだよ、と写真を見せていただきながら教えていただいたりした。
そして、ときが流れて今年たっちゃんは20歳の成人になった。
この病棟では毎年成人を迎える方たちにお祝いの集いを設けている。それが、昨日(5月25日金曜日)行われたのだった。
前から親しくさせていただいている保育師さんから日時の連絡をいただいていたし、総婦長さんからは直々に学校にご案内の連絡もいただいていたのだが、今年の私の仕事(木工実習担当)の事情で参加できるかどうかは微妙な感じだった。
どうにか、仕事の折り合いがついて参加することができ、開始時間に遅れてしまったが通い慣れた道をタクシーで急ぎ会場に着くことができた。
式は中程まで進んで来賓あいさつということになっており、おこがましくも私は来賓ということでたっちゃんに話しかけるように話をさせていただいた。
その後、たっちゃんが生まれてから今までの写真で綴ったスライドショーの上映や訪問教育の先生たちによる歌の発表、たっちゃんのお母さんのあいさつなどがあり、あたたかい手作りの雰囲気が伝わるお祝いの集いは終わった。
そのあと、病棟に戻り、会場には行けなかった入所者さんたちに囲まれて、改めてお祝いの集いが行われた。
お祝いの紅白まんじゅうをみんなでいただきながら、高校卒業時に担任をされていたえみこ先生のキーボード演奏でいろいろな歌を歌ったり、お母さんや病棟のスタッフの方とお話をさせていただいたりして楽しい時間を過ごした。
ここしばらく、修学旅行や体育大会それに実習などの仕事がいくつもいくつもあって疲れ気味な私にとっては穏やかに癒されるひとときになった。
この5年でいろいろな変化が病棟にも学校にもあったが、かわらずたっちゃんを支えてくださるみなさんにありがたいなぁと感謝。
それにこの晴れの日に函館から駆けつけてこられたお母さんはじめご家族のみなさんの愛情の深さを改めて思った。
いまは転勤されて札幌の別の養護学校からかけつけてこられたえみこ先生は「これからもたっちゃんの”大学”の勉強を一緒にしていくからね」とお話になっていた。
・・・・・たっちゃんをささえる手がいつまでもあたたかく続きますように・・・・・