2学期が今週火曜日(8月19日)から始まった。
時間講師勤務の私、1学期終業式以来ひさびさに学校に出勤。
始業式もそこそこに早速通常日課。
授業やって給食やって・・・という普通の日の流れで。
今日の勤務も終わり、夏休み中に貯まっていた書類整理を職員室でやっていると、
”第12回あさひ会(同窓会)”
のお知らせプリントがあった。
日付は7月下旬。夏休みに入ってからのものだった。
そうだ、この時期は同窓会あったよなぁ、ナニナニ、今週末あるんかぁ、で、参加締め切りは、明日(20日水曜日)までと。じゃ、早く返事出さないとなぁ。
・・・ということで、早速メールで出席の連絡をした。
私が北海道に来たのが1995年4月。
教採(北海道:中学校社会)に受かって夕張:A中学校に赴任したところからスタートする。
夕張:A中
夕張:B中(ここで依願退職する)
– しばらく牧場で働く&協力隊を志す –
– 教育大で養護学校免許取得 –
札幌:C養護学校
函館:D養護学校
– 協力隊でパキスタンへ –
札幌:E高等養護学校
札幌:F養護学校(いまの仕事先)
夕張に来た当時は、中田鉄治市長という名物市長がいて、市長選のときは当時ヒットしていた「春よ来い(松任谷由実)」にかけて「鉄よ来い」なんて曲作って支援者集会やってた、そんな時代。
人口もまだ18000人くらいは居て、「炭坑から観光へ」ってゆうキーワードを地理の時間に教えていたりした。
・・・・財政再建団体入りするなんて、誰も思わなかった。
そのあと、↑のようにしてあちらこちらで仕事をしてきた。
函館のD養護学校。
協力隊に参加したいときう気持ちと準備が整いつつあったころ、「肢体不自由教育で経験を積みたい」と希望して札幌から函館にやってきた。
担当は高等部3年生。
6人の子どもに6人の先生。そのうちの1人として私は来させていただけたのだった。
うち4人の子は小学部1年生からこの養護学校で。
だから12年目のD養護学校生活。そしてその学校生活最後の1年でもあった。
教室2つ分の大きなスペースの両側に黒板。
真ん中にパーティション(間仕切り)があって、クラス・グループ毎で活動を分けることができるようにもなっていた、が、まったく使わずにいつも大教室で6人の子と6人の先生が関わっていた。
学年だけでなく、高等部としても小・中学部とは廊下でつながった独立校舎のようになっていたのでその中で自由に行き来し、全員で一緒に授業を受けることも多かった。
給食は校舎の真ん中にある多目的スペースで一堂に会して。
高等部1~3年で15人くらいの子どもと同じ数くらいの先生たちだったから、見渡せばみんなの顔が見えてコミュニケーションも気軽にとることができた。
D養護学校との関わりはこのときが初めてではなかった。
たっちゃんの成人式(2007年5月26日)
http://www.ktc-johnny.com/2007-05-26-tacchan.html
↑函館のこのD養護学校から、小樽の病院に入院したたっちゃんの修学旅行は、故郷の函館だった。
引率した私が驚いたのが、そのたっちゃんに会いに来てくれた当時のD養護学校の先生たち。
いや、先生だけでなかったぞ、同級生のあゆみちゃんとお母さんまで来てくださったんだ。
先生方も入れ替わり立ち替わりで10数人。
転校して1年経ったたっちゃんの様子をこれだけの先生・友だちが会いに来てくれるって凄い学校やなぁ。
私のD養護学校への第一印象はそんな強烈なものだったが、そういう風に先生方が思いを募らせる関わりを持てる訳を実際私がD養護学校に勤めてみて分かった気がする。
そういう子どもへの関わりを大切にした先生方がたくさんいたこと、それに高等部3年生という学年。
そういう環境のなかでの1年だったから、関わった子どもたちの卒後の様子はとっても気になる。
パキスタンから帰ってきたあと、昨年からこの同窓会に参加している。
以前は学校で開催されていたが、ここ数年は駅前のホテルで開かれている。
今日は早起きして、朝7時札幌発のスーパー北斗(特急)に乗り込む。
朝イチの特急ということもあってか、空席が目立っている。
指定席だったが、隣には誰も乗ってこなかった。
お盆を過ぎると、観光客や帰省客は少なくなっているのだろう。
時折朝の日差しが車内に注ぐが、今日は曇り空の札幌。気温も20℃行ってないだろうなぁ。半袖では肌寒い。
10時過ぎ。定刻通り函館に到着。
しばらくカフェで時間をつぶしてから駅ビル向かいのホテル会場に。
エレベーターでは、その卒業学年だったさゆりちゃんとお母さんと乗り合わせる。
昨年もそうだった、ここで会ったっけな。
さゆりちゃんもお母さんも変わらずお元気でアクティブな印象。
会場には15卓のテーブルが並べられ、卒業年度ごとに座る場所が指定されている。
私が勤めていた後の年度の新しい卒業生が増えている。
それと、初めてお見かけする先生が多いこと。私が居た当時の先生方はもうほとんど他校に転勤されているんだ。
私の座るテーブルには、さゆりちゃん、あいちゃんとお母さんたち。
それに旧職員として私にコシロウ先生、現職員の先生。
さゆりちゃんは、発声はできるが言葉として発音することはできない。それで身振りだったり、透明な文字盤を使ってその目の追い方で文字を拾ったり、うなずきなどで意思を確かめたりしてコミュニケーションをとっている。
でもとってもよく分かる人なので、私がアルバムを持ってきていて、昔教室でさゆりちゃんを抱えている写真を見ると「あ~!」って驚き喜び、「アンタあの頃よりも髪が薄くなったねぇ」ってじ~っと頭の方を見ている(笑)。
あいちゃんは学校時代と変わらず、雰囲気はそのまま。
イボイボのついた風船の切れ端を両手の中で転がして、その触り心地を楽しんでいる。
そうでしたよねぇ、お母さん、学校のときもゴム輪を手の中で転がして楽しんでましたねぇ、って話すと、お母さんさっとゴム輪を取り出し「いざというときに持っているんです」って。
長年在籍された先生だと何回も卒業生を送り出していたりするし、他の学年の子どもでも昔担任していました、とか、一緒の学習グループでした、とかで、大概の卒業生を良く知っていたりする。
なので、あちらこちらで卒業生と先生、お母さん方の笑い声・話し声が絶えない。
会場後ろには卒業生が通っている3カ所の作業所の製品販売ブースもあった。
こうした作業所の多くは自分の子どもの将来を考えてお母さん方が立ち上げたものだ。
ゆうか(2005年1月20日)
http://www.ktc-johnny.com/2005-01-20-yuuka.html
ここで紹介させていただいた、けんたくんも卒業後お母さんたちと作業所を立ち上げた。
NPO法人 はあと地域共同作業所:ウェブサイト
http://www.geocities.jp/haatosagyousyo/index.html
さらに、
北斗市地域活動支援センターはあと
として活動も始められている。
地域活動支援センターはあと:ブログ
http://blog.canpan.info/haato/
↓その立ち上げまでの過程がNHK福祉ネットワークで紹介されています。
NHK福祉ネットワーク
シリーズ「働く」 第三回:二十歳の壁を乗り越えろ!(2005年9月19日放送)
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/mon/50919.html
同窓会は、総会→会食→ビンゴ大会→校歌斉唱→記念撮影 と続く。
総会は、組織としての決まりで決算・予算・役員審議などをおこなった。
やはり、年一回の同窓会は母校に集まってしたい!という声が多いとのことで、来年度からは学校で開催される見通し。
会食中は、じっと座席に座って食べているよりも、卒業生、それに久しぶりに顔を合わせる先生方との話に夢中になる。
今年の会には参加できていないけれど、そうそう○○君と春に会ったのよ・・・なんてところから、卒業生の様子を聞くことができる情報交換の場でもある。
昨年はお会いできず、今年の会で5年6年ぶりにお会いする先生方も何人かいらっしゃる。
エンターテイナーぶりで強烈な印象のあったS先生ともホント久しぶりにお会いする。
何度かお家にもお邪魔させていただいたり。茅部に釣りに連れて行ってもらったりしたもんなぁ。
会報の近況報告に調子を崩されていると書いていたので・・・と思っていたが、確かに以前よりもお痩せになっていて心配。
こうやって同窓会に参加して元気をもらっているのよ、との話されていたが、早いご快復を。お会いできて良かった。
ビンゴ大会。卒業生・お母さん・職員みんなに1枚ずつ割当たるもんだから、みんな卒業生にもらってもらおうとビンゴのカードを子どもの周りに並べて早く揃わないか競争したりしている(笑)。
校歌。
♪はるかな空の 朝焼けの雲 松風わたり 芽生えるいのち・・・・
思い入れのある学校の校歌。
この学校の子たちもこの校歌が大好き。あいちゃんもとってもいい表情で聞き入っている。
3番の歌詞の中に
♪ぼくやわたしが 世界をめざし あの手のひらに 未来をそだて・・・
という壮大な一節がある。
開校して30年を迎える学校だが、そうした意気軒高なパワーをこの校歌からはいつも感じている。
記念撮影。たくさんの参加者で2つのグループに分けて。
それでも普通のデジカメで収まりきれるんかいなってくらいのワイドな並びになっていた。
そんなこんなで予定の2時間半はあっという間に過ぎて、午後2時過ぎにお開きとなった。
さゆりちゃん、あいちゃん、お母さんたちにお別れと来年お会いしましょうの挨拶をして分かれる。
外は雨が今にも降りそうな雲行き。風も強くてホント半袖ではつらくてしょうがない。
さて。私にとってはここからが同窓会第2部になる。
昨年の同窓会終了後、お車でお出でだったT先生に乗せていただいて、函館空港近くに住むみかちゃん宅を訪れた。
みかちゃんは進行性の病気で、私が函館に転勤したころは重篤な容態が続いていた。
それから、みかちゃんの強い力で持ちこたえて回復し、学校には通えないけれど自宅で療養生活を送れるまでになっていた。
当時の担任、学部の先生方で相談して、週1回交代で決まった時間に様子を見に行きながら自宅でできそうな課題を一緒にやってみようということになった。
それから半年くらいだったかな。私の番の時は、ホルン持って行ったり、うたを歌ったりおしゃべりをしたりそんなことをしていた。
それから体力も少しずつ付いてきて、学校にも数回だったけれど来ることもできるようになった。
その中での卒業だったから、卒後の様子はとても気になっていた。
パキスタンに行く前も、帰ってきた後も函館に来れば必ず立ち寄らせてもらっている。
昨年も元気な顔をお家で見せていただくことができていた。
電話番号の控えをとってくるのを忘れ、いいや○○さんってあの地域だったら1人しかいないだろうと思ってかけた番号案内で11件ありますと言われて、仕方ない、直接お宅までお伺いしようということになった。
市電に乗って湯の川電停まで。そこからやや歩いて湯の川ダイエーの辺りからタクシーに乗りみかちゃん宅に向かう。
到着したところにちょうど同じタイミングでお母さんが帰宅されたところだった。少し早ければ不在でお会いすることができなかったんだ、いや~よかった。
みかちゃんは、元気に暮らしていた。
昨年お会いした後に、気管切開・胃ろうチューブ挿入の処置を受けたそうで、それを受けるまでご家族でずいぶんと考えられたとのこと。
でも、呼吸もしっかりできていて楽に過ごせる様子を見させていただくと、これでよかったんだと思う。
そうそう、みかちゃんとこに会いにいくから、と思って準備していったプレゼントがある。
春まで在籍していたE高等養護学校。
卒業生を送り出し、時間ができたところで端材を使って何かこしらえようと思い立った。
いつかだれかにプレゼントするときに、これ俺が木工機械使って作ったんだよっていえばカッコイイよなぁ、そう不遜なことを思いながら(笑)。
そのとき作ったいろいろなもののひとつがオルゴールBOXだった。
学校からだとオルゴールのムーブメント(機械)も安く1個から買えちゃうので3つほど選んで注文し、それにあう大きさに端材を切って組み合わせてウレタン塗装して・・・ってこしらえた。
さて、みかちゃんとこの持って行くのに・・・どの曲のにしようかな・・・と朝出発前に机の上に並べて考えること1分2分。
選んだのはコブクロの「桜」の曲のヤツだった。
コブクロ「桜」:Youtubeより
で、みかちゃん、お母さん、オルゴール作ったんすよー、よければもらってくださいね、とねじを巻いて曲を鳴らしてみる。
するとホントに偶然だが、お母さんこの「桜」が好きで携帯の着メロにしているくらいだということが分かってビックリ。
きっと他の2曲のオルゴールでもよかったんだろうけれど、きっとこのオルゴールがみかちゃんとこに来たかったのかも知れへんなぁ、と妙に納得する。
ここでもたっぷり2時間近くお邪魔させていただいて、アルバムを見てもらったり、「桜」を歌ったり、学校の校歌を歌ったり。
みかちゃんも校歌が大好き。向こうを向いていた顔が歌声のするほうに向いて、目をこちらに向けてじっと聞き入ってくれているように感じる。
また来年も再来年もそのまた先の年も、来れる限り、みかちゃん会いに来るからねぇ。
そう声をかけさせてもらって失礼する。
帰りは雨が降ってきたし・・・とご家族の方に函館駅までわざわざ送っていただいた。
駅前で降ろしていただき、見送ったのが午後5時半すぎ。
さぁて、帰りの列車に乗る前に行くところがある!そう決めて行ったのはラッキーピエロ。
ラッキーピエロ:公式ウェブサイト
http://www.luckypierrot.jp/
昨年の同窓会の時、札幌から先生方で連れ立ってやってきて、帰りの時間を待ち合わせラッキーピエロで夕食をとった。
今年もそういうノリで、いつもの節食指令を封印して注文する気にワタシなったらしい(笑)。
左:「ラキポテ」。フライドポテトにホワイトソース・デミグラスソース・粉チーズがかかっている。
右:「チャイニーズチキンバーガー」。略称チキンバーガー。甘酢を絡めた伊達産鶏唐揚げがごろっと入り、特製マヨネーズがたっぷりはさみこんである。人気NO.1だというのがよく分かる。
このラッキーピエロ。冷凍モノは一切使わない、できるだけ地産地消の調理をするってなことで函館限定&通販とかもナシのチェーン店。
他では絶対に食べられないので、この函館に来たら必ず食べたいと思うのだ。
で、今日も美味しかった。出来たてを店内で食べるのがやはり一番いいよな。
と、味わって、節食指令が封印されているので(爆)、欲を出して塩ラーメンを食べることにした。
ラーメン海峡 函館店:食べログ.comより
http://r.tabelog.com/hokkaido/rstdtl/1001644/
函館市若松町14-10 函館ツインタワービル 1F
10年以上前、桑園駅下で同じ名前の「海峡」というラーメン屋さんがあった。
そこも青函連絡船で出していたラーメンと同じ味が楽しめるときいていったが、とても美味しかったのを覚えている。
(いまはそのお店はなくなってしまった・・・残念)
おんなじ「海峡」と言う名前。前から訪れるたびに気になっていた。
ので、今日はラッキーピエロ後だというのに食べることにした。
注文するのは、海峡ラーメン塩。730円。
澄んだスープにホタテ、揚げた小エビ2尾、イカ、シナチク、わかめ、ネギでいたってシンプル。
桑園「海峡」の記憶が今も鮮烈なので、それにくらべるとあっさり感が強く感じるが美味しくいただけた。
きっと、ラッピの前に食べていればもっと印象変わったろうな、そんな感じ。
と、ここまで食べるとうーんきついきつい。
しばらく本屋で立ち読みしたり、ネットカフェでメールチェックしたりして動きながら時間待ちしていた。
ふと歌声がするなぁ、と駅入り口の軒下に行くと2人組の若者がギターを鳴らし、歌を歌っている。
その歌がコブクロ「桜」だったのはなんとも不思議な偶然。
雨が降り続き、通りがかる人もとても少なかったのだけれど、夢叶えてなーって思う。
そして、帰りの札幌行きスーパー北斗に乗り込む。
午後7時半すぎ函館発。
車内はガラガラ。やや冷房の効きすぎに参ったナーと思いながら札幌にもどった。